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本田 浩司

本田 浩司さんのプロフ

ニックネーム
本田 浩司
性別
男性
現住所
大阪府 池田市菅原町6-12 コーポプラム203
出身地
兵庫県 尼崎市
自己紹介
1988年、当時伊丹市内の高校に通う私は野球部に在籍しており、故障した肩のを治療すべく、初めて鍼灸治療たるものを受けました。治療やその効き目にすっかりと興味を持ってしまい、『よし、この道に進もう!』と早くも進路を決めてしまいました。

ところが、高校3年生の進路相談の時、担任の先生より、
『何もそんな急がなくとも、大学出てからでも遅く無いやろ?』と大学進学を薦められましたが、『いえ、その無意味な4年間がもったいないんです!!』と反発しました。そうです、当時は「3流でも大学の肩書き!」の学歴社会だったのです。正直不安もありましたが自分を信じることにしました。

自分の選んだ進路を突き進むには、まずその養成学校へと入る必要があります。そこで選んだのが、明治鍼灸柔道整復専門学校。

“専門学校”をどこか軽視していたのでしょうか、後に痛い目にあってしまします。当時、鍼灸の資格(正確に言うと『国家試験を受ける権利を得る資格』)を取得できる“専門学校”は、国内でも数が限られており、かなりの狭き門であったのです。当然ながら入試結果は不合格(涙)、浪人生活に入るのでありました。。。


19歳の春、私は大阪・門真市の前田整骨院の門を叩きました。そしてここでの経験が、より『絶対この道に進みたい!』の気持ちを強くさせて頂き、午前は前田整骨院での見習い、午後は図書館での受験勉強、時には有名な尼崎の南学堂へ患者として体を張った勉強(笑)。。。という、とてもハードですが、充実した日々をすごしました。


20歳の春、私は故郷を遠く離れ、杜の都仙台におりました。

そう!めでたく赤門鍼灸柔整専門学校へと進学することが叶ったからです。


3年の月日はあっという間に流れ、卒業試験、国家試験ともに無事クリアし、念願のはり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師免許を取得することができました。

卒業後、私は学生時代少林寺拳法で大変お世話になった仙台市の錦町鍼灸院吉岡先生のご紹介で、福島県いわき市の船生玄二郎先生の元でお世話になることとなりました。


船生先生は中医学の理論に基づいた治療を行っており、たったお一人でされているのに、毎日50人近くの患者が来られておりました。『こんな田舎なのにこれだけの患者はどこから来るのか!?』と思うくらいの毎日の忙しさ。実際、かなりの遠方から来られている患者も多く、当時読売ジャイアンツに移籍したばかりの広沢克己選手もそのお一人でした。(代打の切り札福王選手や、巨人⇒ダイエー⇒ヤクルトと活躍された広田投手なども船生先生をよく頼られて来られました)

朝は8:30から始まり、昼食は治療の合間に別部屋で即座に済ませる、夜は9:00頃まで。。。というような殆ど休みの無い毎日は、約1年間の修行期間でしたが、実に3年分程の内容でした。(体重は1年で10kgも痩せました(^^ゞ)

こちらで脈診・舌診の診断に基づいて証を立て、中医学の理論に基づいた現在の治療スタイルをご教授いただきました。


阪神大震災を期に実家伊丹へと戻った私は、縁があって、川西市の間瀬内科クリニックでお世話になることとなりました。

間瀬恒院長はとても素晴らしい人格者で、患者の信用も厚く、それでいて、常に最先端の技術を取り入れて、より充実した医療を患者に提供されております。個人病院でMRI、CTを持っている病院は、当時、日本でもそう無かったでしょう!

こちらで、4年半お世話になりましたが、この4年半が私にとっては物凄く貴重な経験となったのです。内科医院での鍼灸を任されていた訳ですから、実に多くの疾患に対し施術する機会に恵まれ、いわき市での針灸修行の成果を発揮するには絶好の機会となりました。


。。。このように、幾重もの貴重な経験を積み、晴れて2000年4月1日池田市満寿美町で開院することが出来ました。


2016年4月、開院16年を機に、同市菅原町に移転し、現在に至ります。       
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